中尊寺、平泉の歴史を語る上で欠かせないのが

松尾芭蕉の存在です。


松尾芭蕉は西暦1689年(元禄2年)に

門人曽良と共に江戸を発ち旅に出ました。

そして、その44日後、細道を経て平泉を訪れます。

 

おくのほそ道/曽良随行日記」には

次のように記され訳されています。


高館、衣川、衣ノ関、中尊寺、光堂(金色寺)、

泉城、さくら川、さくら山(束稲山)、秀平やしき等を見る。
(おくの細道/曽良随行日記より引用)

 

平泉を訪れた松尾芭蕉は高館に登り頂きより

その眼に見えるは北上川、更にそれと合流する

衣川の古戦場で、往時の栄華などはまるでなく、

衣川上流には田園が広範囲にあるばかりでした。

 

この地で源義経の祖父に当たる武士、

源頼義源義家たちが戦を行い、功を得たのです。

そしてこの古戦場を一望した松尾芭蕉は

ここで一句詠みあげました。


それが有名な

夏草や 兵どもが 夢の跡

です。

 


その後、松尾芭蕉は中尊寺を訪れ

境内の参道月見坂を登り金色堂足を運びます。


実際に松尾芭蕉は開帳しなかったとされていますが、

ここでも句を詠んでいます。

五月雨の 降残してや 光堂


中尊寺の堂・僧坊は300年を超すものの

200年後には、ほぼ失われ、松尾芭蕉が

この地を訪れた時に原形をとどめていたのは

金色堂だけだったのです。

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